大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

金沢地方裁判所 昭和46年(ワ)377号 判決

原告 五藤卓雄 ほか六名

被告 国

代理人 松村利教 野々村昭二 木沢慎司 村角善高

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対しそれぞれ金五一万二、〇〇〇円及びこれに対する昭和四七年一月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項同旨

2  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告上島弘嗣は昭和三八年四月、その余の原告らは昭和三九年四月、それぞれ金沢大学医学部に入学し、いずれも昭和四六年九月同大学を卒業した者である。

(二) 同大学医学部は被告国の設置した国立金沢大学内の学部である。そして同大学医学部長は、学校教育法、同大学管理規程等により医学部を総括し、代表するとともに、同学部内の事務の管理運営に当り、その責任者と定められている者であり、また医学部教授は同大学職員として科目の担当その他の事務に従事している者である。

2  事実の経過

(一) 金沢大学医学部自治会は、同大学医学部学生をもつて構成され、昭和四四年一二月当時、原告らを含む昭和四一年度専門課程進学者八三名(学四クラス)もその構成員であつたが、同自治会は同年一二月六日学生大会を開催してストライキ決行を決議し、直ちに授業放棄に入つた。

(二) それより先、原告らを含む右学四生八三名は、法医学を所定の期間履修し、昭和四四年一二月二三日に予定されていた同科目の試験を受験すべく、所定の受験申請書に担当教官である医学部長訴外井上剛の承認印を得て、これを医学部長訴外石崎有信に提出していた。ところが前記の如く自治会においてスト決議がなされたため、学四生八三名はこれに応じて同月一〇日右受験申請の取消願書を提出し、同月二三日の法医学の試験を受けなかつた。なお右八三名は、取消願書にも井上教授の承認印の押捺を受けた。

(三) ストはその後も継続していたが、昭和四五年二月に至つて右八三名は二派に分裂した。そのうち三六名は受験を希望し、昭和四五年二月二七日三三名、同年三月四日三名に分れて法医学を受験し、その他の科目についてもそのころ受験を終え、同年三月下旬一人を途き同大学を卒業して行つた。残る四七名は法医学をはじめ計一六科目の試験を受けることなくストを継続していた。しかし昭和四五年五月七日に至りストを解除した。

(四) そこで右四七名は科目試験を受験すべく、同人らの代表として訴外北野英一を選び、同訴外人がまず昭和四五年五月一八日担当教官である井上教授のもとへ法医学の受験申請書を持参し、同申請書に承認印の押捺を求めたところ、同教授は、右四七名の者らは、さきに受験した三六名の学生に対し受験妨害その他種々の不当な行為を行つたからまず同学生らに対し謝罪すべきであるとのべ、右押印を拒否した。訴外北野は右承認印が得られなかつたので、右受験申請書を医学部長に提出しなかつた。

(五) ついで昭和四五年七月二一日、原告らを含む右四七名の代表として、原告上島弘嗣が法医学の受験申請書を井上教授のもとへ持参し、承認印を求めたが、前回同様の理由で拒否された。そこで原告上島は、承認印のないまま右申請書を医学部学生係に提出し、同申請書は右学生係を経由してその後医学部長事務取扱である訴外豊田文一のもとに到達した。しかし右部長事務取扱は、右申請書に担当教官の承認印がないことを理由に原告らに返戻しようとしたが、受領を拒まれた。

(六) その後原告らは、昭和四五年一二月一四日個々人の名義で、承認印のない法医学科目試験の受験申請書を、配達証明郵便で石崎医学部長あてに郵送した。しかし同学部長はその後、同申請書を原告らに返戻した。

(七) その後原告五藤卓雄、同上島弘嗣は、金沢大学医学部長を相手として、原告らの法医学の受験申請に対して医学部長が何らの応答もしないことは違法であるとの確認を求めて、不作為の違法確認請求訴訟を提起した(同庁昭和四六年(行ウ)第二号事件)。そして同裁判所は、昭和四六年三月一〇日原告勝訴の判決を言渡した。しかし医学部長は原告らに対し試験を実施しようとしなかつたのみならず、同部長事務取扱訴外豊田は、同年三月一三日付速達郵便をもつて、原告らの受験申請に対し、担当教官の承認印のない受験申請書の提出によつては試験を実施する意思はない旨の文書を付して、同申請を却下する処分をした。

(八) なお昭和四六年一月から三月にかけて、前記四七名のうち二七名が、井上教授のいう謝罪等に応じたため法医学の試験が実施された。そして同年三月三一日に至つて井上教授は同日付で退官し、その後同年八月一日訴外何川涼が後任教授に発令された。そして同年九月二〇日右何川教授のもとで原告らに対し法医学の試験が実施され、全員合格した。そして原告らは同月同大学医学部を卒業した。

3  違法性

(一) 本試験を受ける権利の侵害

(1) 学校教育法六三条一項は「大学に四年以上在学し一定の試験を受け、これに合格した者は学士と称することができる」と規定して、大学においては当然に試験が実施されること、即ち大学の試験実施義務を宣明している。これを試験を受ける学生側からみれば、同法は一定の試験を受けることを学生の最も重要な基本的権利の一つとして抽象的一般的に定めたものと解することができる。そして右法律の抽象的規定を補充するとともに、学生の右権利を具体的に保障する手続規定として、金沢大学にはつぎのような内部規程があつた。即ち、金沢大学通則五条は「学科規程、学修方法、試験、終了および卒業については、学部規程…………で定める。」とし、これを受けて医学部規程七条は「1科目試験は、担当教官ごとに一年に一回行なう。」ものとし、更に受験申請資格並びにその手続については、医学部の科目試験に関する内規において、「1学生は、各科目について規定の期間学修した上、試験を申請することができる。2学生は、講義および実習の総時間数のそれぞれ三分の二以上出席しなければ、受験の申請をすることができない。3試験を受けようとする学生は、予め所定の受験申請書を学部長あてに提出しなければならない。4休学その他の事由で当該学科の履修が充分でないと認めたときは、試験の申請を却下することがある。」と定めている。

右内規1ないし4はいわゆる本試験に関するものであるが、同内規によると更に「5(1)疾病その他止むを得ない事故によつて試験に出席できない者は、医師の診断書又は理由書を添えて学部長に届け出なければならない。(2)前項届出の事由が正当であることが、当該学科担当教官と補導委員(学級担当教官)とによつて認められた場合は、追試験を申請することができる。(3)各学科目の追試験は、担当教官ごとに一年に一回行なう。」旨追試験に関して定めている。そして内規6には「試験を申請した後正当な事由がなく、その試験期日に欠席した者は、同一学年中には、その試験を受けることができない。」とし、その例外として医学部規程七条4に「特別の事情があるときは、教授会は、前三項の規定に拘らず、受講または受験を許可することがある。」と特別試験いわゆる再試験に関する定めを置いている。

以上は法規たるの実質を有するものと解すべきであり、また学生の基本的権利の保障規定であるから、厳格に解釈すべきで、学生の権利を侵害するような恣意的解釈、運用をするときは違法となる。

以上によれば、

ア 学生は所定の期間学修したときは、当該科目についての受験申請権を当該に取得するものであり、何人からか所定の履修を終えている旨の認定を受けてはじめて受験申請資格を取得するものではない。

イ 受験申請は意思表示一般の法理により撤回することができ、これが撤回されたときは申請がない状態になるのであるから、試験期日に出頭しなくても内規6の「欠席」にならない。

ウ 試験を受ける権利は学生にとつて最も重要な基本的権利であるから、受験申請をせずに学年末を経過しても、本試験を受ける権利は失われない。このような場合の権利消滅を定めた規定はない。

エ 受験申請の効果は、申請に対してすみやかに応答する義務並びに受験資格のある者の申請であるときはこれに対し試験を実施する義務を医学部長に発生させる。

と解されるのである。

(2) ところで内規は、受験申請手続について前記のとおり定めるのみで、あらかじめ当該科目担当教官の承認印を求めるべき旨の規定をおいていない。もつとも右承認印を求める学内慣行があつたが、医学部では、従前から科目試験実施の具体的日時場所は受験者たる学生らと科目担当教官との協議によつて決定されており、その協議のためと、受験申請者中に所定の出席日数を欠くため受験資格を有しない者があるかどうかを事前に検討する目的で右慣行が行われてきたものである。

すると申請者が受験申請資格を有する以上、担当教官は、学内慣行上承認印の押捺を拒絶することは許されないところであるとともに、医学部長としても、右担当教官の承認印のないことだけを理由として、受験申請を拒むことは許されないというべきである。

(3) 医学部における学生の試験を受ける権利については、以上の如き関係にあるところ、原告らは法医学を履修し、昭和四四年一二月当時右科目について受験申請に必要な内規2に定める期間に欠けるところがなかつた。そして一旦申請をした同科目の受験申請を同年一二月一〇日撤回し、同撤回について担当教官の承認印を得ているから、原告らについては昭和四四年度の法医学の試験に関しては受験申請のない状態であつたというべきである。したがつて同試験を受験しなくても、原告らは、申請をしながら試験期日に欠席した者に該当しない(もつとも、正当な理由のある欠席に当たると主張するものでもないが)。また原告らはその後法医学の試験を受験することなく昭和四四年の学年末(昭和四五年三月三一日)を経過しても、同年度の法医学本試験の受験申請資格を依然として失つていないというべきである。すると昭和四五年五月一八日から昭和四六年三月三一日(退官)までの間、数回にわたる法医学の受験申請に対し、担当教官である井上教授が承認印の押捺を拒否したのは、受験申請資格のある者に対する拒否であつて、前記規程並びに学内慣行に反し、また医学部長(事務取扱も含む)が昭和四五年七月二一日から昭和四六年九月二〇日までの間、原告らに対し右試験を実施しなかつたのは、受験資格のある者に対する不実施であつて、前記規程等に反し、これらの行為はそれぞれ独立して原告らの昭和四四年度法医学の本試験を受ける権利を侵害する行為とみることができる。そして右各行為は、いずれも違法と評価すべきである。

(二) 再試験を実施しない違法

(1) かりに昭和四五年四月以降原告らは再試験しか受験できない関係にあつたとしても、担当教官の再試験を実施しない措置は違法というべきである。

即ち、医学部規程七条4に特別試験(再試験)の定めがあるが、これまで医学部においては、受験申請後、事前に申請を取下げることなく、試験期日に欠席したり、又は試験に不合格となつた学生について、その学生からの申請に基づき、期日を学生と教授が話合つて決め、再度の受講やその他の教育措置を要求されることなく、また教授会の決議も要しないで再試験が実施され、各科目につき常時相当多数の学生が再試験を受けてきていた。したがつて医学部においては、規程に定めるような再試験は行われたことがなく、これとは別の規定にはない確立した慣行としての再試験が行われてきたというべきである。これによると原告らの受験申請は右慣行による再試験についての受験申請というべく、担当教官は、何らの教育措置を講じないで原告らに対し再試験を実施すべきであつた。したがつて右受験申請書に承認印を押さず、原告らに対し再試験を実施しなかつた担当教官の行為は違法というべきである。

(2) かりに右再試験を実施する前提として、原告らに対し教育措置を講ずる必要があつたとしても、右再試験を大学側の恩恵的なものとして把え、再試験を実施するか否か、その際如何なる教育措置を講ずるかを担当教官の自由裁量に委ねたものと考えるのは相当でない。判定留保の際、再試験の前提として担当教官が行なう教育措置といえども、当然に法規、学内規則、慣行、ないしは条理に規制されることは当然であり、若しこれらに反した教育措置、例えば懲戒規定によらずに懲戒処分に相当するが如き措置がとられたときは、違法の評価を免れない。

本件において井上教授が原告らに対して要求した再試験実施の前提条件としての教育措置は、つぎに記載する如く、著しく裁量権の範囲を逸脱するものであるとともに、公序良俗に反する不当なものであつて、このような教育措置に応じなければ再試験を実施しないとする右担当教官の措置は違法といわねばならない。

(3) 井上教授のとつた教育措置が違法であることはつぎのとおりである。

(ア) 事実誤認

(a) 受験妨害があるとの前提について

同教授は、原告らが昭和四五年二月二七日に実施された法医学の試験当日、受験学生の試験を妨害するような行為をしたとし、右受験学生に対する謝罪を要求した。

しかしながら原告らは受験妨害行為をしていない。原告上島は当日国立病院で自主的に研修に従事していたところ、たまたま受験学生が同病院に集合し、バスに乗車しようとしているところを目撃したので、右原告は受験学生に翻意を求め、さらに平和的説得を続けようと考え、自分もバスに乗せてほしいと頼んだ。その結果、受験学生らは同乗を許し、ともに金沢大学薬学部前に至つた。同所で受験学生らが下車したところ、同構内にいたスト参加学生のデモ隊がそれを見付けて受験学生の後を追つて試験場に向つた。このデモ隊は、原告らとは明らかに区別しうるヘルメツト姿のいわゆる革マル派と称される学三を中心とした学生であつて、試験の実力阻止を唱えていたが、原告らは誰一人としてこのグループには参加していなかつたし、行動も別であつた。原告らは強行妨害を避けて平静に受験学生と話し合うという方針を事前に決め、デモ隊とは別に三々五々試験場である法医学教室前に集合し、井上教授に話合いを求めた。そして同教授によつて室内に招じ入れられたのであるが、間もなく同教授は突然機動隊を導入してしまつたのである。機動隊導入後、原告らは集会やつるし上げに全く参加していない。要するに当日原告らは受験学生の試験を妨害したなどと評価されるような行動を全くしていないのであるから、謝罪を要求する前提において井上教授には事実誤認があるというべきである。

(b) 文書送付について

同教授はまた原告らの属する学四クラス会が受験派学生を非難する文書を昭和四五年三月ころ、配布又は送付し、かつ同月二三日になした学四クラス会からの除名決議をそのころ文書で関連病院等へ送付したことについて、これらの行動の謝罪と結果除去、回復措置の実施を要求した。しかし原告らとて右文書の送付などにつき、学四クラス会における討論の際、あげて賛成したわけではない。したがつてこの点においてすべに事実誤認がある。しかし学四クラス会の名のもとに一体として行つた右行為について、団体の構成員なるが故に、賛成しなかつた者も他の構成員とともに連帯してその行為責任を負担すべきであるとの前提に立つているのであれば、それは近代法における根本的法理である個人責任の原則を無視した暴論というほかはない。この点においても前提の判断に誤りがあるということができる。

(イ) 良心の自由に対する侵害

井上教授は、原告らに対して試験実施の取引条件として「わび状」の提出を迫り、謝罪を強要した。これらの要求は、試験を受けたいと希望している学生に試験の不実施を材料として、試験実施につき一定の権限を有する公の機関が、謝罪を強用することであり、原告らの良心の自由に対する著しい侵害というべきである。かりに非行があり、これについて謝罪を求めるならば、あくまで学生の自由で独立した人格を認め、何ら圧迫など加えない状態で求めてこそ効果もあり、教育上の配慮として高く評価されるのであるが、本件における同教授の試験実施の条件としての謝罪要求は次元の低い対決でしかない。その意味で右謝罪要求は良心の自由を侵す違法行為と評価される。

(ウ) 差別的取扱

同教授は「わび状」を提出をした二十数名の者に対し、昭和四六年一月から三月にかけて試験を実施し、「わび状」を書かない原告らに対しては試験を実施しなかつた。これは「わび状」提出の有無を試験実施の基準としたことによるのであるが、このように「わび状」の不提出を理由に試験の実施を拒むのは、他の一五科目の試験が無条件に実施されていることと対比するならば、専ら人の内心の状況によつて区別した教育上の差別待遇というほかなく、これは憲法一四条、教育基本法三条一項の平等の原則に背反するものといわねばならない。また井上教授は、二月二七日の試験当日、原告らと共に法医学教室の前にいう訴外堀本豊範らに対しては、別個に機会を設けて受験させ卒業させているが、原告らについてはこのような個別的配慮をしていない。これらの差別扱いは違法と評価すべきである。

(エ) 懲戒手続の無視

前記の如く「わび状」を出さないことを理由とする試験実施の拒否は、原告らに事実上の無期停学の結果をもたらし、卒業が際限もなく引き延ばされる重大な被害を引きおこすものであり、実質は懲戒処分と同視すべきである。とすれば当然懲戒処分事由の存否の認定機関、本人の弁明の聴取、懲戒処分の種類の限定、一事不再理、不服申立などを定めた懲戒手続規定並びに条理が厳守されなければならないのは当然である。本件は懲戒処分につき何の権限もない井上教授個人により、本人の弁明も聴取されず、彼の主観的事実認定により彼の好みに応じた制裁を科せられたものであり、かつこのような制裁には何の歯止めもなく、一事不再理の制限もないというものである。これが学内諸規程及び条理をふみにじつた野蛮な私刑(リンチ)であり教育とは縁もゆかりもない苛酷な処分であることは明らかである。

(三) 今日の大学法制において、学生のストライキ(集団的授業放棄)を全く違法なものとする考え方は次第に減少し、むしろ大学運営に対する学生参加その他学生の権利主体制が重視されてくるに従い、学生の一斉授業放棄は、それ自体は本質的にありうべからざる違法行為であるとするわけにはいかないという見方が全国の大学にひろまりつつある。そして相当数の学生がストに参加し、そのため所定の科目試験を受けることができなかつた場合も、それによつて当然に大学側が試験実施義務を免れるものではなく、基本的に教育責任を負つている大学側は、実施可能な時期に、しかるべき方法で、試験を実施するよう相当な配慮をなす義務を有していると解すべきである。本件ストは、大学当局からその存在を認められた自治会が、学部内の学生の権利の拡大などを要求して、その規則に則つた適法な決議により継続されてきたものであり、右決議に従う態度をとつた原告らを非難することはできない。しかるに井上教授は、かたくなに試験実施を拒否した。担当教官は、スト終結後、実施可能な時期に、教育措置を講ずることなく、原告に対し、試験を実施すべきであつたと解され、裁量権もそのように行使すべきであつた。以上要するに、原告らは試験を受ける権利を侵害されたものであり、本試験、再試験の区別を論ずるまでもなく、右侵害行為は違法というべきである。

4  責任

(一) 原告らの前記権利侵害は、担当教官である井上教授及び医学部の執行責任者である医学部長らの故意に基づくものである。

(二) したがつて被告国は、民法七一五条一項又は国家賠償法一条一項により、原告らに生じた後記損害を賠償する義務がある。

5  損害

(一) 財産上の損害

原告らは、前記の者らの所為により留年を余儀なくされ、昭和四五年四月一日から昭和四六年三月三一日まで一年分の授業料一人当り金一万二、〇〇〇円を負担した。右は原告らが蒙つた財産上の損害というべきである。

(二) 慰藉料

原告らは前記の者らの所為により、学生の最も基本的な試験を受ける権利を侵害され、これによつて多大の精神的苦痛を蒙つた。それのみか、井上教授は、試験実施を拒絶する際、謝罪しなければならないような事実がないのに、事実誤認のもとに謝罪を要求した。しかも右謝罪はそれ自体で原告らの良心の自由に対する侵害に値するものであつた。また井上教授の所為は、前記の如く差別扱いであり、更に懲戒手続によらない野蛮な私刑を課したとみられるものであるから、これら諸事情を総合すると原告らの右精神的苦痛を慰藉するには一人当り金五〇万円が相当である。

6  結論

よつて原告らは被告に対し、それぞれ右損害賠償金五一万二、〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和四七年一月一一日から支払まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否 <略>

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1(当事者)、及び2(事実の経過)の事実は当事者間に争いがない。

二  原告らは、まず法医学について、昭和四四年度の本試験を受ける権利を侵害されたと主張するので、この点につき判断する。

1  金沢大学通則、医学部規定、科目試験に関する内規に原告主張の如き定めがあることは当事者間に争いがない。

2  右各内部規程等並びに学校教育法、同法施行規則、大学設置基準によると、金沢大学医学部における学生の科目試験を受験する地位はつぎのように解することができる。

(一)  金沢大学は学校教育法一条にいう大学であり、同法六三条によると、大学に四年以上在学し、一定の試験を受け、これに合格した者は、学士と称することができる。そして右学士に関する事項は、監督庁がこれを定めることになつているところ、同法施行規則六六条一項によると、学士に関する事項は、大学設置基準(昭和三一年文部省令第二八号)の定めるところによるとし、同大学設置基準第九章卒業の要件及び学士の章三一条以下に詳細が定められている。即ち、大学は一の授業科目を履修した者に対しては、試験の上単位を与えるものとし、一定年限以上の在学(医学又は歯学部にあつては六年以上、その他の学部にあつては四年以上)と一定単位以上の修得が卒業の要件となる。そして卒業の要件が備われば、大学はその者に対して、その履修した専攻に応じた学士号を称せしめることができるとされている。このように大学における科目試験は、科目を履修した者に対し、単位付与に価するだけの成果をあげているか否かを判定するための手段として設けられた制度であり、試験に合格と判定されたのち、単位が付与される関係にあるというべきである。したがつて、試験を受けることは、単位取得のための条件であり、また学生の大学生活における最終目標である卒業のための必要条件でもある。何ら合理的理由がないのに、右試験を受ける地位が侵害されるのは、学生にとつて不利益であり、そのため予定されていた時期に卒業できないといつた事態が生ずるに至つてはその不利益は重大である。このように学生の試験を受ける利益、なかんずく卒業に直接影響する場合の学生の試験を受ける地位は、法的保護に価するものとして考えるのが相当である。もつとも大学設置基準は、国の大学に対する監督行政のための最低基準を定めたものであり、直接には利用者たる学生のために何らかの権利保障を意図したものということはできないが、このように不当侵害の場合に、法的に救済されるという意味において、学生の大学における科目試験を受け得る地位を、試験を受ける基本的権利として把握することはもとより可能であり、大学並びに大学教員は、学生の右基本的権利を侵害しないようにしなければならないことは他の権利に対すると同様であるといわねばならない。

(二)  ところで前記大学設置基準は、大学における科目試験について、受験資格、科目数、単位数等の基本的基準を定めるのみで、試験の種類、方法、時期、回数その他具体的手続に関しては何ら定めていない。前記の如き大学設置基準の制度的目的に照らすと、国は大学設置の最低基準を定めてこれを大学に守らせ、これら基本的事項に限つて監督権の対象とするとともに、それ以下の試験に関する具体的事項については、教育の本質、内容にかかわるものであるところから、大学における自治に委ね。これを尊重してみだりに介入することを差控えたものと解するのが相当である。

(三)  そこで本件金沢大学内部における試験の具体的細目に関する定めについてみてみると、金沢大学通則五条は、学科課程、学修方法、試験、修了および卒業については、学部規程および教養部規程で定めるとし、これを受けて、医学部規程七条は、科目試験は、担当教官ごとに一年に一回行なうとしている。そして更にその細則として医学部は科目試験に関する内規を定めている。これによると、まず受験申請資格として、各科目について規定の期間学修することが必要であること、講義および実習の総時間数の三分の二以上出席しない学生は受験申請ができないことを定め、期日の欠席について、正当な事由がなくその試験期日に欠席した者は、同一学年中にはその試験を受けることができないこと、正当な事由があるときは追試験を申請することができるが、この追試験についても担当教官ごとに一年に一回であることをそれぞれ定めている。右は科目試験に関する具体的な事項についての定めであるが、基本的には、受験のための資格要件を設定していること、一定の事由に該当する場合は受験資格を失なうことを骨格としている。そして一般に大学教育が学生に対し、集団的且つ年次的把握のもとで行なわれていることを考えると、科目試験も学生毎に、個別的随意的に行なうことは不可能というべく、一定の規律のもとで秩序正しく行なわれなければならないのは当然である。充分なる学修をしないで科目試験にだけ合格すればよいというものでもないし、定められた試験期日に、正当な事由なく欠席した者を無条件に保護する必要もないのであつて、これら学内秩序の面からみると、前記の如き受験についての資格要件の定めや、一定事由ある場合の試験を受ける権利の制限ないしは失権の定めをおくことはもとより有効で、合理性を有する制度であると理解しなければならない。

(四)  以上の如く学生は、一般に大学において科目試験を受ける権利を有するものであるが、本件金沢大学医学部内規によると、試験を申請した後正当な理由がなくその試験期日に欠席したときは、その学生は同一学年中にその試験を受ける権利を失うこととされているのであつて、正当な事由なく欠席したときに本試験を受ける権利を失わしめることは何ら不当でない。ところで右を原則とするならば、その例外として、そのような場合であつても、更に特別の事情があるときは、教授会は受験を許可するをことがあるといういわゆる再試験に関する定めが医学部規程七条4にある。上記の如き制度の趣旨に照らすならば、再試験はまさに文言どおり「特別の事情」のある場合でなければ実施されないと解すべきで、右特別の事情の存在を要件としない再試験を認めると、前記の本試験、追試験の区別は無意味となるから、そのような解釈をすることはできない。そしてこの特別の事情とは、無断欠席に例をとるならば、試験期日の欠席について正当性はなく、したがつて受験を拒否するのは何ら不当ではないのであるが、しかし受験させないことによつて、かえつて別の重大なる教育的マイナス効果をもたらす場合とか、或いは再試験を認めることによつて、教育上別の顕著なプラス効果が期待される場合といつたような、欠席の正当性の再判断ではない、別の領域における教育上特に配慮すべき事情を指すものと解されるのである。なお右配慮すべき事情は、単に学力に関するものに止まらず、個人的、人格的事情をも含むというべきである。

(五)  以上の各規定の趣旨を総合すると、学生の試験を受ける地位は、学生にとつて重要であるから、権利として尊重されなければならないものであるが、その反面、学生は入学を合意した以上、関係法規や学内規程等を守りこれに従う義務があり、同法規等に反しその義務を怠るときは、右試験を受ける権利の行使を制限され或いは一定の場面において喪失せしめられることもあるというべきである。即ち学生の試験を受ける権利は、絶対的なものではなく、大学がその自律権に基づいて定めた合理的制約に服すべき権利であるといわねばならない。

3  そこで本件における原告らの昭和四四年度法医学の本試験を受ける権利の帰すうについて判断する。

(一)  原告らが法医学を所定の期間履修し、担当教官によつて昭和四四年一二月二三日に実施が予定されていた昭和四四年度同科目試験について受験資格を有していたこと、しかし原告らは、その所属する自治会がスト決議をしたため、右期日における同科目試験を受験しなかつたことは当事者間に争いがない。

すると原告らは、正当な事由がなくその試験期日に欠席した者にあたり、したがつて内規の定めによると、同一学年中にはその試験を受けることができなく(内規6)なつたというべきである。

(二)  原告らは、試験期日前に受験申請を撤回しているから、その試験期日に出席しなくても、欠席扱にすることはできないとの趣旨をのべるが、科目試験は、担当教官ごとに行われるものであつて、実施機関は当該科目担当教官であると解されるところ、右の如く受験資格がありながら、担当教官が実施を決定した試験についての受験申請を、事前に正当な理由なしに撤回するというが如きは、まさに正当な理由のない試験期日の欠席を糊塗せんとするものであつて、実質的には期日の欠席と同視すべきものである。

原告らは更に、右受験申請の取消願書に、担当教官である井上教授の承認印を得ている旨主張するが、同教授の押印があるからといつて、それ自体は直ちに申請取消が正当であることの承認の意味まで含むものと解せられないばかりか、証人井上剛の証言によると、右の印は、申請取消を承認する趣旨で押捺したものでなく、単に申請撤回の意思を了知したという趣旨にすぎないものであることが認められる。したがつて右井上教授の押印があることをもつて、スト突入を理由とする原告らの受験ボイコツトがそのために正当視される理由なく、原告らの右主張は結果理由がない。

(三)  以上によると、原告らは昭和四四年度の法医学に関する本試験を受ける権利を、昭和四四年一二月二三日の試験期日に欠席したため、内規の定めによつてそのころ喪失したものといわねばならない。原告らは、前記再試験を待つか、さもなければ次年度即ち、昭和四五年度の法医学講義を受講し、同年度の本試験を受けるしかなかつたものである。すると昭和四四年度本試験を受ける権利を侵害されたとする原告らの主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

三  つぎに原告らは、昭和四四年度の再試験を受ける権利を侵害されたと主張するのでこの点につき判断する。

1  まず原告らは、規程に定めるような再試験ではない慣行としての再試験、即ち試験期日に欠席したり、試験に不合格となつた学生からの申請に基づき、特別の要件を必要としないで、期日を学生と教官が話合つて決める。再度の試験が医学部において確立した慣行として行われてきていたと主張する。しかし前記規程等に定める再試験が、教授会の許可を必要としているのに対し、右教授会の許可権限を科目担当教官に委ね、各担当教官において再試験を実施するか否かを決定するという、手続の一部を修正した形の慣行が行われていたことは被告においても認めるところであるが、右規程に定める再試験の要件たる特別の事情を不要とする慣行が行われていた事実は、少くとも井上教授の法医学に関する限り、これを認めるに足る証拠がない。

証人井上剛の証言によると、原告らを含む学四クラス生は、受験ボイコツトによつて、昭和四四年一二月に実施を予定されていた昭和四四年度の法医学の本試験を受ける権利を失つたが、卒業を控えているところから、受験を希望する者が現れ、昭和四五年になつて井上教授のところへ試験実施について質問に来たこと、その際同教授は、学生が試験を受けることが如何に重要であるかを説き、さきのスト決議による受験拒否が誤りであることを諭したこと、それに対し右学生はその説示を理解したため、同教授は右説示にかかる理由を理解しスト継続中にも拘らず受験を希望する者があればこれに対し再試験を実施することを決め、期日を昭和四六年二月二七日と定めたことが認められる。右によると、二月二七日の受験派学生に対する試験は、再試験に該当すると認められるところ、この再試験について同教授は対象となる学生について特別の事情の有無を考慮していたものと認めることができるのであつて、同教授はこれまでも法医学に関し、再試験を実施するに当つては、何らかの形で当該学生について特別の事情の有無を判断していたものと認めることができる。

2  すると本件法医学についての再試験は、「特別の事情」の存在を要件とするところ、井上教授は、原告らの昭和四五年五月一八日以降の数回にわたる受験申請に対し、謝罪を要求し原告らが、これに応じないため、試験の実施を拒否した(この点は当事者間に争いがない)のは、まさに無条件では再試験を実施しないこと、換言すれば、ストを解除したというだけでは、再試験を実施するための特別の事情はない旨を表明したものと解することができるのであつて、後記の如く、特別の事情存否の認定が同担当教官の自由裁量に委ねられている以上、一般にはその認定に原告らも従わざるを得ないというべきである。もつとも特別の事情は存在するか否かどちらかであつて規程上は、存在が認定されない以上、再試験を拒否すれば足るわけで、特に謝罪等の作為を求める必要はないのであるが、本件において井上教授は、原告らの受験申請に対し、謝罪等を求め、それを実行しない以上試験は実施しない旨を述べているのでその関係を明らかにしておく必要がある。そして証人井上剛の証言によると、井上教授は原告らに対し、原告らが学四クラス会の名のもとに行つた、卒業を目前に控えた受験学生に対する受験妨害や、中傷文書送付の各所為が、受験学生に対する関係で、違法かつ不当なものでいわゆる医道に反する旨を説諭し、そのような非違を行つた以上原告らは、被害者たる受験学生に対し謝罪等をすべきであるとの道理を説き、更にそのような謝罪等が行われたならば再試験をするための要件が充足されると考えるが、それが行われないとすれば再試験をすることはできない旨担当教官の考え方を説明し、したがつて再試験を希望するならば謝罪等を行つた方がよい旨再試験実施に向けての助言ないしはしようようしたものであることが認められる。右によると、再試験に関する関係でいえば、井上教授は、原告らが謝罪等を行うことによつて、特別の事情が具備するか、ないしは特別の事情の認定を阻害する反対の事情が除去される関係にあることを卒直に学生に申伝え、できる限り再試験のための要件が備わるよう努力すべき旨助言し、その間の事情の説明を行つたものと解することができる。したがつて右謝罪要求に応じない以上、右特別事情存否についての担当教官の判断は消極として確定し、そのまま推移するというべく事実もそのようであつたことが明らかである。そして前記の如き特別の事情存否の認定、並びにこれが具備しない場合にとるべき担当教官としての措置の内容、程度の決定等はいずれも極めて教育的なものであつて、これを直接規律する規定はなく、一切が担当教官の教育的見地からする自由裁量に委ねられていたと解するのが相当である。したがつて井上教授のとつた前記教育措置は、同教授に与えられた教育者としての権限行使として行われたものとみることができる。

3  原告らは、井上教授がとつた前記教育措置は裁量の範囲を逸脱し、違法であつたと主張するので以下この点につき判断する。

(一)  事実誤認であるとの主張について

(1) <証拠略>を総合すると、井上教授が原告らに対し、謝罪ないしは名誉回復措置をとるよう要求するに至つた前提事実についての概要は、被告主張二、3、(二)、(3)、(ア)、(a)及び(b)記載のとおりであることが認められる。

(2) 原告らは、受験妨害をしたのは革マル派と称される学三クラスを中心とした学生であると主張する。そして前(1)掲記の証拠によると、二月二七日の試験当日試験場付近には、ヘルメツト姿の学三クラス生を中心とした革マル派が活発な実力阻止行動をとつていたことが認められるが、平常姿の原告らを含む学四クラス受験反対派の学生も附近に多数いて、彼らは、井上教授室に侵入して試験中止を要求し、同教授の退去要求に応じなかつたため機動隊導入の契機となつたり、試験場の廊下から室内の受験生に向つて大声で受験をやめるよう説得したり、同廊下に坐り込んだりして、前記学三クラス生の行動と相まつて試験場周辺を不安と喧騒の状態に陥れ、受験生の試験に臨む前の気持の平穏を侵害し、中には受験意思をもつて試験場付近まで来た者をして右の如き状態のため受験不能と判断させるに至らしめたことが認められる。したがつて原告らはいずれも当日試験場周辺に集り、少くとも説得と称して実は説得以上の行動を井上教授や受験学生に対して行つていたことは事実であつて、その程度の差はあれ、全員が受験学生に対し迷惑となるような妨害行動をとつていたということができる。右認定に反する<証拠略>は採用できない。

(3) つぎに原告らの中のある者は、中傷、誹謗文書を送付したことに関し、クラス会の中では賛成しなかつた旨主張する。そしてそのような事実は認められないばかりか、クラス会の意思決定の際、多数決原理を採用し、その法則に従つて団体としての意思を統一した以上、所属構成員としては特に反対の立証がない限り、右決議の結果に従う意思を持つに至つたものと推定することができるのであつて、その後原告らは学四クラス会を離脱することなく行動を共にしている点を付加して考えると、右決議を執行する段階においては、右決議の際反対の意見を表明した者も、これに同調し、クラス会の名における中傷文書作成に同意し、これが発送を容認したものと認めることができる。右決議執行の段階においても原告らのうちのある者が反対の意思を持ち続けていたと認めるに足る証拠はない。右に抵触する<証拠略>は採用しない。

(4) 以上によると、井上教授が原告らに対し、受験妨害並びに中傷文書送付の事実ありとし、謝罪ないしは名誉回復措置を求めた前提において、事実誤認はないものといわねばならない。

(二)  良心の自由に対する侵害であるとの主張について

井上教授の謝罪要求は、前記の如く事案の評価と道理の説示を前提においたうえで、再試験の要件を充足させるための教育的配慮からの助言というべく、これを受け入れるか否かは原告らが自由意思で決すべきものであつて、原告らの内心に対する直接の規制を目的としたものでないことが明らかである。原告らが右助言や理非の説示を良心の侵害と感じたならば、教授のその言を聞かない、聞いても従わないということで容易にその圧迫から逃れることができたのであつて、井上教授の右教育措置を回避不能の侵害と把えるのは相当ではない。現に、原告らは右助言を自己の意思で直ちに拒否している。右助言を回避すれば試験が受けられないという結果をもたらすけれども、その結果は、もともと再試験の要件が備わらなかつたがためであつて、右助言からの回避に起因して生ずる事態ではない。したがつて井上教授が教育者としての良心と信念に従い、教育的見地から原告らに対し、謝罪を求めたことを学生側の良心の自由に対する侵害と構成し、現実にも侵害の結果を生じたとするのは相当でなく、原告らの右主張は理由がない。

(三)  差別的取扱であるとの主張について

大学は、学術の中心として、広く知識を受けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用能力を展開させることを目的とする(学校教育法五二条)ものであり、したがつて大学における教育は、それが専門的な側面をもつものであるところから、教育の内容、方法その他教育に際してとらるべき具体的措置は、原則として、教育者たる各科目担当教官の専門的かつ技術的自律権に一切が委ねられているというべきである。したがつて教育に際してとられる具体的措置の内容方法は、同一学生に対するものであつても科目担当教官ごとに差異が生ずることがあり得るのであつて、ことに本件の如き集団的受験ボイコツト並びにその後の受験学生に対する組織的中傷行動を目のあたりに体験した担当教官が、それぞれの教師としての教育観と専門分野の学識に基づき、それぞれ異なる価値判断を行い、それぞれ教師として個性ある考えを抱くに至つたとしても、一概にこれを非難することはできず、そのような教師としての個人差はやむを得ない現象であるといわねばならない。したがつて法医学の教官と他の科目の教官との間に、再試験の要件である特別の事情存否の判断に差異を生じたとしても、何ら異とするに足らず、各科目内容の相違や、学生と担当教官との対応の相違を一切捨象しても、右判断の差異をもつて不合理な差別であるとすることはできない。

つぎに原告らは、昭和四五年二月二七日の試験当日、試験に欠席し、原告らとともに試験場前の廊下にいた、いわば受験反対派学生とみられる訴外堀本らに対し、井上教授はその後謝罪を要求することなく、試験を実施しているが、原告らに対する同教授の態度と対比してみると著しい差異があり、原告らに対して謝罪等を要求しているのは不当な差別であると主張する。そして<証拠略>を総合すると、受験学生三六名のうち、訴外堀本豊範他二名の者らは、他の学生とともに受験意思を有し、二月二七日の法医学試験に関し受験申請書を提出していたこと、そして右の者らは、同日試験場付近まで来たのであるが、試験場前の廊下には、当時ヘルメツト姿をした革マル系の学三クラスを中心とした学生と、平服姿の学四生ら約一〇〇名の受験反対派学生がいて騒然としていたため、受験不能と判断し帰つたこと、他の受験学生三三名はすでに室内に入つていたため試験は実施されたこと、その後同人らはその事情をのべて井上教授に再度試験実施を申請したところ、同教授は右事情を了解し、二月二七日の再試験に欠席したことについて正当事由があるとし、直ちに追試験の実施を決定し、三月四日に、右三名に対し再試験についての追試験を実施したことが認められる。すると、二月二七日当日受験場前廊下付近にいて、受験しなかつた訴外堀本らを、受験意思がなくかえつて受験妨害行為をした原告らと区別し、当日の欠席に正当事由ありとし謝罪を求めないて追試験を実施したことをもつて、原告らに対する不当な差別であるとすることはできない。

つぎに井上教授が謝罪をした学生に対してその後試験を実施し、謝罪をしない原告らに対しては試験を実施しないのは不当な差別であると原告らは主張するが、担当教官が、非違行為を行つた者らに対し、その非を諭し、謝罪をすすめたにも拘らず、これに反発して応じない者を、右説諭に応じて謝罪した者と区別することは教育的にみて不当な差別に当るとみることはできない。教育に無関係な要素を基準として取扱を区別したのならともかく、両者の間には大学教育の目的の一つである道徳教育の面や法医学の基礎理念からみて重要な差異があるのであつて、その差異に着目して、担当教授が医師としての人格面の能力展開を図るため、謝罪あるまで再試験を実施しないとした教育措置は、具体的な教育内容を教授に一任している制度のもとでは、不当な差別とみることはできないというべきである。

(四)  懲戒手続の無視であるとの主張について

本件大学は、学校教育法にいう学校に該当し、同大学学科担当教官は同法にいう教員に当る。そして同法一一条によると、校長及び教員は、体罰を除いて、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生に懲戒を加えることができると規定され、同法施行規則一三条二項によると、懲戒のうち退学、停学及び訓告の処分は、校長(大学にあつては、学長の委任を受けた学部長を含む)がこれを行う、と定められている。したがつて懲戒処分としての懲戒即ち退学、停学及び訓告の処分は、大学においては、学長又はその委任を受けた学部長のみに限つてこれを行うことができるのに対し、右以外の教育措置としての懲戒は、右学長らに限らずその他各科目担当教官においてもこれを行うことができるというべきである。

ところで本件では、担当教官たる井上教授は、原告らからの再試験申請を、再試験実施権者としての判断に基づき拒否したに過ぎず、懲戒を直接の目的としてなしたものでないことが前記認定から明らかである。のみならず、その際原告らに謝罪を求めたことが、非違行為の指摘と反省の要求を含むところから、批判ないしは叱責類似の懲戒行為に当るとみることができるとしても、その非違行為の内容、程度、時期等に照らすと、右教官としての事実上の懲戒措置は、行為との関連において相当限度を越えるものとは認め難く、違法な懲戒とみることはできない。原告らは、再試験の拒否によつて無期停学と同様の不利益を蒙ると主張するが、前記の如く、原告らは規程上は、昭和四四年度の本試験を受ける権利を自らの責に帰すべき事由によつて失つたが、改めての受講による次年度での本試験を受ける道が残されていたから、卒業が際限なく延ばされるという不利益が当然に発生したとみることはできない。もつとも次年度本試験まで延伸される不利益は残るが、既述の如く、原告らが昭和四四年度本試験を受ける権利を失つたのは、自己の責に帰すべき事由に基づくものであるから、自ら招いた不利益というべく、他に転嫁すべき性質のものではない。むしろ原告らとしてはどうしても早期に再試験の実施をしてもらいたいと考えていたならば、担当教官の指導のもとに、再試験実施の要件である特別の事情実現のために努力すべきであつたと考えられ、このように自己のおかれた不利益な状態から脱却せんとするには、まず自らが努力すべきは当然であるのに、その努力をしないで反発し、特別の事情具備を徒らに遷延させたのは原告自身に原因があるというべく、他に救済を要求するのは相当でない。原告らと同じ状態におかれた者のうち原告らを除く大半が、昭和四六年一月から三月にかけて謝罪等を実行し、井上教授から再試験実施決定を得て受験したことは当事者間に争いがないところ、右はまさに自らの努力で再試験のための特別の事情を作り出し、被害回避を図つた結果であると認められるのである。以上の如く原告が主張する不利益は充分回避は可能であつたというべく、したがつて原告らが担当教官の教育措置に応じないで、無条件本試験実施を要求し、これに固執し続けたために生じた結果をもつて、自己に対する教授の懲戒処分であるとし、その不当を論難するのは当らないというべきである。

(五)  後任教授の試験実施について

井上教授が昭和四六年三月三一日付で退官し、同年八月一日訴外何川涼が後任教授として配置換発令されたことは当事者間に争いがない。

前記の如く、原告らについて再試験をするための特別の事情はないと判断したのは、井上教授であり、その判断に違法性が認められないのは前記認定のとおりである。ところで右特別の事情存否の判断は、担当教官の教育的裁量に委ねられているところから考えると、同教授限りのことであり、同教官が退官し後任教官が発令された場合、その判断は当然に承継されるものではなく、後任教授の権限に基づき改めてその存否が判断されなければならないものと解される。このように、担当教官の教育裁量権は一身専属的なものと解されるので、後任教授たる何川教授が発令後、原告らに対する法医学試験について如何なる措置をとつたかをつぎに判断することとする。

<証拠略>によると、何川教授は、原告らを含む未受験者一七名からの受験申請に対し、昭和四六年九月一三日及び一四日法医学の補講を行い、同年九月二〇日法医学の試験を実施したことが認められる。右事実によると、何川教授は、補講を行うことによつて再試験実施のための特別の事情が具備されると判断し、これを受講した者に対し再試験を実施したものと認められ、発令、着任後の時間的関係等からみると、再試験の時期やそのための教育措置内容を違法とみることはできない。

もつとも先任教授退官後、後任教授発令までの四か月間、法医学に関しては教授欠員の状態が続いていたことが明らかである。そして学校教育法によると、助教授は、教授の職務を助ける職責を有することになつているが、教授欠員の場合、当然に助教授が教授のすべての権限を代行できるかどうかは疑問がある。そして本件医学部教授会がその間の対応措置を講じたことについては立証がない。すると右空白期間は、医学部内の最終責任者たる医学部長が法医学に関する責任者になるものと解される。しかしながら後任教授発令までの間、代行責任者としての医学部長が、先任者たる教授の判断を蹈襲し、原告らに対し謝罪なしには再試験をしないという態度をとり続けたとしても、本件事案のもとでは、強いて非難することはできず、またその内容自体も井上教授について判断したと同様違法とはいえないものである。

4  以上要するに、原告らの再試験を受ける権利は、担当教官であつた井上教授によつて、特別の事情なしと判断され現実化しなかつたものであり、右教授退官後も同様判断のもとで推移し、後任の何川教授のもとで補講を受けることによつて特別事情を肯定され再試験となつたことが明らかであつて、右各判断に違法な点が認められない以上、原告らの再試験を受ける権利の侵害は成立しないことが明らかであるといわねばならない。

四1  更に原告らは、大学ストを絶対的な違法行為とみるのは相当でなく、スト終了後は、しかるべき方法で試験をして卒業させるなど大局的見地から事態を解決する義務が大学側にあつた旨を主張する。しかしながら大学ストを適法ないしは正当行為と認めることはできないばかりか、本件は、原告らが授業放棄、試験拒否等ののストを行つたこと自体を問題として試験を実施しなかつたのではなく、原告らが受験学生らに対し、受験妨害等の行為をしたことを取り上げ問題としていることが明らかであるから、前提において異なる事情が存在し、とうてい原告ら主張の如き結論に至らないことが明白である。

2  更に考えるに、大学において授業放棄、試験拒否等のいわゆるストライキが発生した場合、学長、教員その他の職員は、当該大学の正常な運営とその改善に意を用い、全員が協力してすみやかにその妥当な収拾を図るよう努めなければならない(大学の運営に関する臨時措置法三条)のは当然であつて、大学ストを容認するわけではないが、同法は、紛争そのものは正常な姿ではないことから、大学に対し、自己の学内に発生した紛争を自主的に収拾するよう、特に合目的的運用を示唆したものと解することができる。そしてこの解決の方向は、いわば大学の運営面からのものというべく、ストを一つの好ましからざる現象として把え、その現象を事実的ないしは行政的に取除き事態を正常化せんとする方策であるということができる。そして現実には、このような弾力的処理の発想を更に進めて、スト解決後の事態のすみやかな回復を図るため、原告ら主張の如く、内規等の拡張解釈又は合目的的運用をもつて、当該スト参加の学生に対し、しかるべき方法で試験を行い、ともかく早く卒業させるといつた方策が考えられないわけではない。しかしながら、大学は教育することを本務としているのであり、しかもその範囲は広汎で知識の教授のみならず、知的、道徳的能力の展開を図ることをも目的とし、これら目的達成のため、教官には自主的な教育権が保障され、学長には一定範囲で学生に対する懲戒処分権が認められていることから考えると、学生ストの収拾は、右の如き行政的解決策だけではなく、他にもより本質的方策があつて然るべきであると解される。即ち教官が学生ストを教育権の対象であると判断し、教官が教育の実施としてこれに対処し、いわば人間的関係のもとでスト参加の学生を教育して行くという方法がまず考えられてよいし、また学長が懲戒処分権に基づき相当処分を課すことで秩序の回復ないしは維持を図るといつた方策も勿論考えられるところである。以上の如く、大学紛争に対する大学及び教官の取組み方としては、(ア)教官の教育権の対象として教育措置をもつて当該学生を教育する。(イ)懲戒権に基づき懲戒処分をもつて対処する、(ウ)大学運営面から把え管理行政的に処理する、の三方法が考えられるのであるが、どれが最も効果的であるかは事案によつて異なり一般的に述べられないが大学本来の目的に照らすと、(ア)の方法がより本質的で他の二方法に優先するものと考えられる。したがつて(ア)の方法がとられた以上、(イ)又は(ウ)の方法は原則としてとる余地がないというべく、この場合(イ)又は(ウ)の方策を採用しなかつたことをもつて、学長或いは大学当局を義務違反として非難することはできないというべきである。

本件において学科担当教官である井上教授は、事件の発端となつた法医学の担当者としての義務感から、受験をボイコツトした学生に対し、再試験実施の要件判定に際し、理非を説諭し、被害の回復を命ずるなど教育措置を講じて当該学生を教育したものであり、いわば教官の教育権が前面に出て来た形となつたものである。したがつてその限りで大学としては、優先的な(ア)の方策が先行したため、(イ)又は(ウ)の方策をとる余地はなかつた、無理に(イ)又は(ウ)の方策をとつたならば、二重処分或いは担当教官の教育権との抵触を生じかえつて当該学生の地位は困乱する、と解されるのである。結局大学(本件においては医学部長)が原告らを卒業させるため大局的見地から何らかの方法による試験の実施をしなかつたことを違法とする原告らの主張は理由がない。

五  以上によると、その余の点について判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井上孝一 近江清勝 安藤裕子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例